1989年から91年にかけてのリトアニアの独立回復期には、多くのソビエト時代のイデオロギー的モニュメントなどは解体され、何も保管手続きがされないまま、公共事業会社の敷地内や空き地などに積み上げられていきました。 そのような「保存」がされなければ、多くのモニュメントが損傷を受け(そのうちのいくつかは解体中に金属承認などの目に留まったために「被害を受け」)、そして最終的に近隣の共和国で起こったように完全に破壊されていたかもしれません。
解体されたソビエト時代のモニュメントのその後の運命に関しては、破壊したほうがいいとか、保存したほうがいいとか、様々な意見や提案がありました。
Druskininkai近くのGrūtasに位置するHesonos klubas公共機関は、文化省が主導した「解体されたソビエト時代のモニュメントの展示」開催の入札を1998年に勝ち取りました。
会社の経営者であるViliumas Malinauskasは、州からの資金援助を求めずに、彼の家族のキノコとベリービジネスから得た個人資金を使って展示施設を設立することを計画していました。 入札に提出された計画にはまた、南リトアニアのこの地域の開発のための新しい観光資源開発の重要性を強調しました。
展示施設の準備作業は1999年初頭に始まり、2001年4月1日にGrūtasParkが正式に開園しました。
GrūtasParkの展示では、ソビエト時代のイデオロギーが人々の生活に与えたネガティブな内容と、価値体系への影響を示しています。この展示の目的は、リトアニアの人々、リトアニアを訪れる観光客、そして将来の世代に対して、何十年もの間私たちの国の精神を抑制し傷つけ続けたソビエトイデオロギーの生の姿を見る機会を提供することです。
今日まで、他の博物館や文化施設はソビエトの遺物を集めたり展示することを試みていません。Grūtas公園では、モニュメント彫刻がおよそ2 kmにわたって配置され、展示されています。そこには、シベリアにあるような監視塔、強制収容所の破片などです。 Grūtas公園には20ヘクタールの敷地があり、46人の作家による86作品が展示されています。1か所で屋外でのこのような大量のモニュメントやイデオロギー的な彫刻を集めた場所は、まれであり、世界的に見てもユニークな場所と呼べるでしょう。
インフォメーションセンター &美術館
博物館の建物は、木造でまるで1940年代~50年代に建てられた文化的な建物に似ています。情報センターと博物館では、収集された音声、映像、写真、ドキュメンタリーは展示・上映され、ソビエト時代のイデオロギーとプロパガンダ、疑似科学、その目的、メカニズムを開設し、リトアニアでの大量虐殺を明らかにして非難しています。
動物園
お子さんたちは、公園内にあるミニ動物園の鳥や動物を見学するのもとても楽しいです。
ルナパーク
この公園も若い人たちに人気となっています。お子さんたちはソビエト時代のルナパーク(チェーン展開していた遊園地)跡の広場や遊具で遊び、親や祖父母の時代にどんな遊びがあったのかを見ることができます。
カフェ
カフェで提供される料理は伝統的な郷土料理(グリーブやサワークリームなどのついたキノコ)、そして現代的な料理(キノコのスープ、パンなど)などと様々です。すりつぶしたジャガイモの肉詰め(cepelinai)、焼きポテト(kugelis)、冷たいビートスープ(šaltibarščiai)などの伝統的なリトアニアのジャガイモレシピも用意しています。Grūtas公園スタイルとその雰囲気は、ソビエト時代の雰囲気を反映しています。訪れた人は燻製イワシ「po ruski (ロシア風)」、カツレツ「proščajmolodost (青春時代がさよなら)」、カクテル「elnio akis(トナカイの目)」を好むでしょう。アラカルトにはカタツムリ料理、様々なデザートなども用意してあります。