クルシュー砂州(リトアニア語:Kuršių nerija)は、リトアニア西部のバルト海に沿って97キロメートルに及ぶ砂州です。 伝説によると、この砂州はその昔、屈強な少女ネリンガ(Neringa)が湾内の街や漁師を海の嵐から守るために、砂をバルト海に積み上げた堤防だと言われています。
今日、砂州の東側はカリーニン湾に、西側はバルト海に接しています。砂州のうち50kmほどがリトアニア共和国に属しています。残りの部分は ロシア連邦に属しています。砂丘や、樹齢百年以上のマツ、植林されたマツの森におおわれています。また、砂州には白い砂浜や古い漁師町が残っており、ユニークな場所となっています。 貴重な景観を保存するために、1991年にKuršių nerija国立公園に認定されました。
クルシュー砂州の形成には約5000年の歴史があります。その長い歴史の中で、砂州は驚くべき自然の力と無責任な人間活動の影響を受け続けてきました。 16世紀以降、大規模な森林伐採、過度な放牧、樹脂と木炭の採掘、そして山火事がありました。砂州の中の森林面積は、2世紀の間に75%(1605年)から10%(1834年)に減少しました。 それに伴い古い砂丘と土壌と森林の遺跡は砂漠化した新しい漂流砂に覆われています。 1706年から1846年の間に14の村が砂で埋められました。 大規模な砂漠化は、多くの時間と費用を伴う植林作業によって安定化されてきました。
19世紀の間に、砂漠化した荒野の中で、人類は前例のない傑作を作り上げました。そしてそれは世界的に重要な人間と自然の間の関わりを示す文化的景観としてユネスコ世界遺産に認定されました。
樹木について学べる遊歩道(Juodkrantė)
ユオドクランテ(Juodkrantė)では樹齢100年のマツの木とトウヒが育つ植生(古代の森)を見ることができます。 砂の中に本物の森があるという信じがたい景色を見ることができます。樹木について学べる遊歩道では、古代の森林の景観や木々に触れることができます。 遊歩道は、アンバーベイ近くの駐車場から始まり、集落墓地で終わる全長1600メートルの遊歩道です。 16カ所の休憩所では植物の説明、写真を見ることができます。道端にはベンチが休息をとり、自然の音を楽しむために最適な場所に設置されています。
ユオドクランテ(Juodkrantė)のアオサギと鵜のコロニー
Juodkrantėの近くには、リトアニアで知られているアオサギと鵜の最大かつ最古のコロニーがあります。 人類はこのコロニーを19世紀後半からモニタリングしてきました。 現在、コロニーの両側には、3,000以上の鵜の巣と235のアオサギの巣があります。 最初の鵜は通常2月上旬にクルシュー砂州に出現し、その後アオサギがやってきます。
3月の終わりにコロニーはとても鮮やかになります。 鳥は古い巣を協力して維持しつつ新しい巣を作ります。 鳥のカップルは卵を温めます。 鷺と鵜は魚を餌にします。長い脚を持つサギは浜やサンゴの中に立って魚を待ちますが、鵜が海に潜って魚を捕えます。秋になると鳥たちは巣立ち、次の季節まで静かになります。
ヴェツェクルグ砂丘 (Vecekrug)
Vecekrug(Old Inn)は、クルシュー砂州の最高砂丘(67.2m)です。 その名前は、カリーニンの単語「vece」 – 「古い」と「kruogs」 – 「居酒屋」に由来しています。これは、砂丘のふもとにある以前の旅宿を思い出させるものです。 砂丘全体はマツで覆われています。 このマツの植林は19世紀の半ばに始まりました。 当初、苗はデンマークから特別に輸入され、その後地元で栽培されました。マツは、カリーニンの集落に、向かってきた砂丘に植えられ、それはさらなる砂の流入防止に役立ちました。
パルニディス遊歩道 (Parnidis、Nida)
全長1.8kmの自然遊歩道は、サイレンスの谷のパルニディス砂丘の麓から始まります。 ここでは、素晴らしい植物、地衣類、菌類、昆虫、鳥を見ることができて、壮大な風景を眺めたり、キツツキの「鍛冶屋」を訪ねたり、木の「歴史」に触れたりすることができます。とくに子どもは楽しい時を過ごすことができるでしょう。
ブルヴィキス岬(Bulvikis、Nida)
Bulvikis岬は、カリーニン半島の中で幅が3.8 kmと最も広い場所です。岬とその近くのラグーンの名前は、カリーニンの姓ブルビキスに由来すると考えられています。 また、スウェーデン語では「bolja」は波を意味し、「vik」は湾を意味するので、スウェーデンに由来するという起源についてもう1つの説もあります。
大砂丘に植林がされる前は、ブルビキス岬は非常に拡大していました。1837年から1910年にかけて、平均して年間7メートル長くなっていきました。 現在、私たちは逆の過程をモニタリングしています。岬は海や川の水によって削られ、止まることなくますます小さくなりつつあります。
ヴェンテ(Ventė) 岬とカリーニンラグーンからBulvikis 岬とBulvikis ラグーンまでは素晴らしいパノラマの景色が広がります。視界が良い日には、カリーニンラグーンのもう一方の海岸が非常に近いように見えますが、この印象は幻想的です。二つの海岸の距離は8kmで深さは約3mあります 。
トーマス・マン(Thomas Mann)文化センター&博物館
1929年から1930年にかけて、ドイツの作家でノーベル賞受賞者のトーマス・マンの家族がニダ北部の「義母の丘」の上にコテージを建てました。そして、1930年から1932年にかけての夏を彼らはここで過ごしていました。 ここでマンは彼の小説「ジョセフと彼の兄弟」を書いていました。第二次世界大戦後、この建物はしばらくの間放棄されいましたが、 1967年、この家の中の読書室と作家の記念展示が公開されました。 1995年から1996年にかけて、リトアニア政府とドイツ政府の資金でサマーハウスが修復され、1996年に記念館が開館しました。後に非営利団体であるトーマスマン文化センターとなっています。